2017年7月13日 東京新聞
学生時代の思い出を語る羽生善治三冠=三重県菰野町の湯の山温泉グリーンホテルで
最年少の将棋プロ棋士として活躍する中学三年の藤井聡太四段(14)=愛知県瀬戸市。連勝記録が止まったとはいえ、棋界を席巻する新星が注目される中、史上三人目の中学生棋士としてデビューした羽生(はぶ)善治三冠(46)が本紙の取材に応じた。タイトル獲得通算九十八期の大先輩は、学生棋士として奮闘した実体験を踏まえつつ、藤井四段への周囲の支援の大切さを訴える。 (岡村淳司)
羽生三冠は一九八五年十二月、中学三年でプロに。当時はプロ合格と同時に、将棋に専念する棋士ばかり。だが「将棋界は独立していて他の世界を知ることができない。幅広く知識を広げたい」と、東京都立富士森高=八王子市=に進学。「何としても卒業し、大学にも進むつもりだった」
活躍するにつれ、授業のある平日に多くの対局が組まれた。ピーク時には月に十日も。関西で深夜まで対局に臨み、始発の新幹線に乗って学校に通った。「着いた時にはへろへろ。本当に、席に座っているだけ」。それでも三年間、通い続け、学校行事もできる限り参加。「修学旅行は東北の八幡平に行って初めてスキーを覚えた。今でも同級生とは多少のつながりがある」という。
両立は難しく、単位不足で卒業できなかった。自分で調べて通信制のカリキュラムを見つけ、編入して不足分の単位を取得。「十一歳で入門し、よく分からないまま棋士になった。『この道を選んだ』という瞬間や、誰かに進路を相談した経験がなかった。高校で同級生が進路に悩んでいるのを見て、うらやましいとさえ思った」。高校生活のおかげで、自身を客観視できるようになった。
中卒で将棋に専念するか、高校進学か。「いま、どちらが良かったかは分からない」と振り返るが、決断に後悔はない。「棋士の道のりは長い。どう役立つか分からないけれど、将棋以外の経験をしておいてよかった」と実感している。
藤井四段はプロ入りを想定し、高校受験のない中高一貫校を選んだ。今後、羽生三冠のように学業との両立で悩むこともありそうだ。羽生三冠は「当時に比べ、未成年の生活や仕事に厳しい目が向けられる時代。悩ましい面があるのでは」と推察する。藤井四段の今後について「しっかりしているので、淡々と着実に成長していくと思う。本人より、私も含めた棋界全体が支援してゆくことや、応援する環境づくりが非常に大切」と訴える。
中学生棋士への注目度は、羽生三冠の当時とは段違い。「特殊な状況。『こう対応したらいい』というセオリーがなく大変だが、その分、実力を伸ばすチャンスも来るはず。生かしてほしい」とエールを送る。
羽生三冠の棋士人生は三十年を超えた。「モチベーションに波があったが、割り切ってやってきた」。藤井四段ら有望な若手や、常識を覆す人工知能(AI)の登場で、将棋への情熱が再燃している。「藤井さんの活躍を見ると、すごく刺激を受ける。非常に良い影響を与えてもらっている。最近、将棋以外の仕事が多かったが、しばらく将棋に集中したい」
<はぶ・よしはる> 埼玉県所沢市生まれ。小学5年で二上達也・元日本将棋連盟会長(故人)に弟子入りし、プロ棋士を養成する奨励会に入会。異例のスピードで昇級、昇段を重ね、15歳でプロに。88年のNHK杯で大物棋士を次々と破って優勝し、一躍スターに。翌年の竜王戦で初タイトルを獲得。96年には初めて将棋界の七大タイトル(当時)を全制覇した。趣味のチェスも日本トップレベル。(以上、東京新聞より転載)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201707/CK2017071302000127.html