民主主義は市民の議論によって成長する、とマイケル・サンデルは語ります。しかし、残念なことに、これが実行されることは希なことなのです。サンデルは再教育講座を開き、最高裁の判例(PGA
Tour対マーティン)を基にTED参加者と議論することで、正義を構成する重大な要素とは何かを明らかにします。
(以下、ビデオ内のスピーチ全文)
0:13 世界が必要としているもの この国が 間違いなく必要としているもの それは 政治的議論を行う より良い方法である かつて 我々が持っていたはずの 民主的な議論の技術を再発見しなくてはならない (拍手) 現在行われている議論といえば ケーブルテレビで 大声で叫んでいる シーンが思い浮かぶだけだろう あるいは 議会での思想のぶつけ合いだ 一つ 提案したい 最近行われている議論を思い出してみよう 健康保険問題 金融街のボーナスや救済措置について 貧富の差や 差別是正措置 あるいは同性婚について これらの議論の表面下に 存在するのは 誰もが感情的になる問題であるが 道徳哲学に関する 大きな問題 あるいは 正義に関する大きな問題である しかし 政治における 道徳哲学の大きな問題に対して 議論したり 考えを明確にしたり 弁護することは 滅多にない
1:25
そこで今日は
議論をしてみたいと思う
まず最初に
正義と道徳における
これらの問題について著した
有名な哲学者を取り上げよう
古代ギリシャのアリストテレスに
ついて紹介したいと思う
彼の正義に関する論理を紹介した後で
議論を行い
アリストテレスの考えが
今日の問題を検討
議論する上で
有用であるかどうか確かめよう
レクチャーを始めるけど いいかな
アリストテレスによれば
正義とは 受けるに値するものを人々に与えることである
そう これがレクチャーだ
2:11
(笑い)
2:14
それは検討するまでもない
本当の問題は
誰が 何を なぜ手にするに値するのかを
議論することから始まる
フルートを例にしよう
フルートを配る場合
最も良いフルートは誰が手にすべきだろうか?
意見を聞きたい
どうだろう?
誰が最良のフルートを得るべきだろう?
その場で発言して構わない
2:39
(観客:ランダム)
2:41
サンデル:ランダム つまり くじ引きだね
または 最初にホールに飛び込んだ人がもらうとか
他には?
2:49
(観客:フルートが一番上手な人)
2:51
サンデル:一番上手な人 (観客:一番下手な人は)
2:53
サンデル:下手な人だって?
一番上手な人だと思う人は?
理由は?
そう それがアリストテレスの答えなのだ
3:06
(笑い)
3:08
しかし さらに難しい問題は
今 手をあげた人は
どうして一番上手な人が
最良のフルートを手にすべきと考えたのだろうか?
3:17
ピーター:全体の利益を最大化できるから
3:19
サンデル:全体の利益の最大化
上手な人が最良のフルートを手にすれば
良い音楽が聴けるはずだ
名前はピーター?(観客:ピーター)
3:28
サンデル:よろしい
良い説明だ
ひどい音楽を聴かされるより
美しい音楽を聴く方が幸せになれる
しかし ピーター
アリストテレスは 君のその説明には賛成しない
そうだ
アリストテレスは 違った説明をしている
なぜ 一番上手な演奏者が最良のフルートを持つべきか
アリストテレスは言う
フルートが存在しているのは
上手く演奏されるためである
アリストテレスは 物の分配を
論理的に説明するためには
物が存在する目的 あるいは
社会活動の目的を
論理的に説明したり
議論することが必要であると言う
ここでは演奏が目的である
大事なことは
演奏の本質とは
良い音楽を創造することであり
我々が それから恩恵を得るとしても
それは 偶然の副産物に過ぎないのだ
正義について考えるとき
アリストテレスによれば
我々が真に考えねばならないことは
問題となっている活動の本質であり
賞賛され 賛美され 評価される
性質についてである
一番上手な演奏者が
最良のフルートを手にすべき理由の一つは
その演奏が私たちを幸せにするから
というだけではない
最良の演奏者の卓越性を
評価し
賞賛する
ためである
4:59
フルートを誰に渡すかという問題は
取るに足りない問題のように思える
次に 正義に関する議論の
現代的な問題に移ろう
ゴルフに関する問題だ
数年前
ケイシー=マーティンが
ご存じだろうか
彼は一流のゴルファーだったが
障害を持っていた
循環系の問題で 足に障害があった
そのため コースを歩くことが
非常に困難だった
ケガをする危険性もあった
PGA
プロゴルフ協会に対して
PGAトーナメントで
カートの使用を認めるよう求めた
答えは「ノー」
「不公正な優位性を与えてしまう」という理由だ
彼は裁判所へ訴え
信じられないかもしれないが
最高裁まで進んだ
単にカートの問題なのにだ
しかし 法律では
障害者に対しては
便宜が図られねばならないとされている
そして その便宜は
その活動の本質を
変えてしまってはならない
彼は言った 「私は一流のゴルファーであり
競技に参加したいと考えている
ただ ホールからホールへの移動に
カートを必要としているだけだ」
6:19
あなたが最高裁の裁判官だったと
考えてみて欲しい
このケースの正義はどうあるべきか
決めなければならないと考えてみて欲しい
ケイシー=マーティンにはカートを使う権利があると
考える人はどれくらい いるだろうか?
あるいは 権利はないと考える方はどうだろう?
では 投票してみましょう 手をあげて
ケイシー=マーティンに賛成の人は?
では 彼に反対の人は?
結構 うまく意見が分かれた
ケイシー=マーティンがカートを
使用することを認めないという人で
その理由を説明できる人はいるだろうか?
手をあげて マイクを渡しますから
どのような理由だろう?
7:01
(観客:不公平な優位性だからです)
7:03
サンデル:カートに乗ることが
不公平な優位性であるということだね
カートの使用を認めない人の
ほとんどは この不公平な優位性について
懸念しているのだと思う
カートの使用が認められるべきだとする人の
意見はどうだろうか?
どのような反論があるだろう?
どうぞ
7:23
観客:カートはゴルフの一部ではありません
7:26
サンデル:名前は? (観客:チャーリーです)
7:29
サンデル:チャーリーは
誰かから反論があるかもしれないので チャーリーにマイクを
では チャーリー
なぜカートの使用を認めるべきなのだろうか?
7:39
チャーリー:カートはゴルフの一部ではないからです
7:43
サンデル:ホールからホールへと歩くことについては?
7:46
チャーリー:関係ないと思います ゴルフの一部ではありません
7:49
サンデル:コースを歩くのはゴルフの一部ではない?
7:53
チャーリー:一部ではないと思います
7:55
サンデル:よろしい チャーリー そのままで
7:57
(笑い)
7:59
チャーリーに反論は?
チャーリーに反論したい人は?
意見をどうぞ
8:06
観客:持久力もゴルフの非常に重要な一部だと思います
ホールの間を歩くこともそうです
8:11
サンデル:全てのホールを歩くことが
ゴルフの一部だということだろうか? (観客:そうです)
8:16
サンデル:名前は? (観客:ウォレンです)
8:18
サンデル:ウォレンだね
チャーリー ウォレンの意見をどう思う?
8:25
チャーリー:意見は変わりません
8:27
(笑い)
8:33
サンデル:ウォレン、ゴルフはするかい?
8:35
ウォレン:いいえ
8:37
チャーリー:私はします (サンデル:だろうね)
(笑い)
8:41
(拍手)
8:45
ご存じのように
興味深いことだが
下級審での審理において
著名なゴルファーが
証言のために呼ばれた
コースを歩くことはゴルフの本質なのだろうか?
ジャック=ニコラウスやアーノルド=パーマーが呼ばれた
彼らは何を発言しただろうか?
その通り ウォレンと同意見だった
つまり コースを歩くことは
激しい運動である
疲労という要素もゴルフの重要な一部である
だから カートの使用は
ゴルフを根本から変えてしまう
という意見であったのだ
ここで ひとつ
興味深いことがある
その前に 最高裁について話しておこう
9:31
最高裁は
判決を下した
どういった判決だったろうか?
ケイシー=マーティンに
カートの使用を認めるべきだという判決だった
判決は7対2だった
興味深いことは 最高裁の判決も
我々がここで行った議論も
ゴルフの本質的な要素とは
何であるかということに
基づいて
この事案で何が正しいか 正義なのかを
議論したということだ
そして最高裁の判事は
この問題に正面から取り組んだ
多数派の意見として スティーブンス判事は
ゴルフの歴史について多くの書物にあたり
ゴルフの本質的な要素とは
非常に小さいボールを ある位置から
ホールまで
少ない打数で移動することであり
歩くことは本質ではなく 付随的要素でしかない と述べた
10:29
二人の反対があったが
一人はスカリア判事であった
彼はカートの使用を認めず
興味深い反論をしている
彼の意見が興味深いのは
多数派の意見の根本を成す
アリストテレス的な前提を否定している点である
彼は言う
ゴルフのようなスポーツの
本質的な要素を決定することはできない
彼の言葉を引用しよう
「何かが本質的であるとは
通常 それが何かの目的を達成するために
不可欠であるということである
しかし 気晴らしという以外の目的がない
ということがスポーツの本質なのであり
(笑い)
それこそが 生産的活動と
スポーツを分けるものである
(笑い)
恣意的に決められている
スポーツのルールのいずれが
本質的であると決めることはできない」
11:29
これがスカリア判事の
多数派の意見である
アリストテレス的な前提への反論である
スカリア判事の意見には
疑問点が
二つある
これは本当のスポーツファンの発言ではない ということ
(笑い)
もしスポーツのルールが
恣意的に決められており
我々が賞賛するに値すると考える
美徳や卓越性といったものを
生じさせるために存在するのではない
と考えるのであれば
試合の結果に興味を持つことはないだろう
また 別の観点からも
この考えには疑念がある
表面上は
カートの使用に関する議論は
公平さに関する議論のように見える
何が不公平な優位性であるのか
しかし公平さだけが問題なのであれば
簡単で明快な解決方法があるはずだ
それは何だろうか?(観客:みんながカートを使用する)
全てのプレイヤーにカートの使用を
認める
そうすれば 公平さに関する問題はなくなる
12:39
しかし 誰もがカートを使った場合
ケイシー=マーティンのみに許可した場合よりも
おそらく さらに
受け入れ難い問題が
著名ゴルファーや
PGAにのしかかることになる
なぜだろうか?
なぜなら カートの使用についての議論で
問題となっているのは
ゴルフの本質についてだけではなく
どのような運動能力が
賞賛され
評価されるに
値するのか
という問題だ
要点をできるだけ
控え目に言っておこう
ゴルファーは この競技の
スポーツとしての地位を気にしている
(笑い)
走ったり 跳んだりはしないし
ボールは静止している
(笑い)
もしゴルフが
カートに乗っていてもできるスポーツだとしたら
他の真に優れたアスリートに対して
我々が示している賞賛や評価を
著名なゴルファーにも
示すことは
難しいのではないだろうか
ゴルフの場合も
フルートの場合と同様
正義が何を求めているか
という問題に答えることは
次のような問題を的確に捉えなければ
容易なことではないのである
「問題となっている
活動の本質は何か
その活動における
どういった性質や
どういった卓越性が
名誉や評価を受けるに値するのか?」
14:30
最後の例題へ移ろう
現代の政治的議論において大きな問題となっている
同性婚について話そう
伝統的な結婚
つまり男性と女性による結婚のみを
政府は認めるべきだと考える人がいる
その一方で 同性婚についても
認めるべきだと考える人もいる
最初の政策を選ぶ人は
どれくらいいるだろうか?
伝統的な結婚のみを認めるべきだと考える人は?
では 二番目の政策 同性婚を認める立場の人は?
では こう表現してみよう
我々は
正義や道徳に対する
どのような考え方を根拠に
結婚を議論しているのであろうか?
同性婚に反対する人は
結婚の目的について
基本的には 繁殖であると言う
それこそが 結婚を素晴らしいもの
評価され 奨励されるものとしているのだ と
一方で同性婚を擁護する人は それを否定する
繁殖だけが結婚の目的ではない
生涯にわたる 相互の 愛情に溢れた献身はどうなるのだ?
それこそが 結婚というものではないのだろうか
つまり フルートでも ゴルフカートでも
そして 同性婚のような
非常に難しい問題についても
アリストテレスは指摘している
社会制度の目的や
活動のどのような性質が
賞賛と評価の対象となるのかについて
十分な議論がなされた後でなければ
正義についての議論を行うことはできない
16:06
個々のケースから離れて
これらの問題が 米国において
政治的議論の内容を改善し
質を高めようとする上で
どのように役立つか考えよう
世界でも同じことが言える
政治における道徳的な問題に
あまり直接的に取り組むと
それは不一致を作りだし
不寛容や抑圧を作り出す
と考える傾向が
我々にはある
だから 日常生活に持ち込まれた
道徳や宗教的信念については
身をかわすか
無視しておく方が良いと考える
しかし私は これまでの議論によって
その反対の結論が導き出せると考える
より相互に尊敬しうる
ようになるためには
人々が社会生活の中に
持ち込んだ道徳的信念に対して
正面から取り組むべきであり
人々に対して
その深い道徳的信念を
政治とは関係ないとするよう
求めるべきではないと考える
私はこれこそが
民主的議論の技術を
復活させる方法であると考えるのです
17:16
ありがとうございました
17:18
(拍手)
17:21
ありがとう
17:23
(拍手)
17:26
ありがとう
17:28
(拍手)
17:30
ありがとうございます
ありがとう ありがとう
クリス
クリス ありがとう
17:40
クリス=アンダーソン:フルートからゴルフ
同性婚の問題まで
見事に関連付けてくれましたね
あなたは公開教育のパイオニアですが
あの素晴らしいレクチャーシリーズを発端に
次にはどのような展望を抱かれていますか?
17:54
サンデル:やってみたいことがあります
公共の問題に関して学生たちが持ち
激しく対立する道徳的信条が
教室での私たちの
議論の対象となります
これを一般の生活全体にまで広げたいと思っています
つまり私の夢は
オンラインで視聴可能となっている
私のレクチャーシリーズのように
公開のテレビシリーズを作成し
世界中の人に無料で公開することです
中国やインド アフリカなど世界中の
教育機関や大学と
提携することも視野に入れ
市民教育の
向上を図り
豪華版の民主的議論を
成立させたいと思います
18:37
クリス:つまり いずれは
生放送 リアルタイムで
中国やインドの人々に参加してもらって
このような議論や質疑を行いたいということでしょうか?
18:47
サンデル:そうです ここでも
ロングビーチで1,500人が参加できました
ハーバードの教室では
約1,000人の学生が出席しています
非常に大きな道徳的信条に関する問題と
真剣に取り組み
考えたり 議論をしたり
文化的な差異を調査し
テレビ中継を使って
北京やムンバイ
ケンブリッジやマサチューセッツにいる
学生たちを結び 世界的な教室を作る
というのは 興味深いことではありませんか?
それが私の夢なのです
19:20
(拍手)
19:24
クリス:あなたの考えに
賛同される方が大勢いると思います
サンデル:ありがとう (サンデル:ありがとう)
http://www.ted.com/talks/michael_sandel_the_lost_art_of_democratic_debate?language=ja