2017年2月3日金曜日

<「沖縄ヘイト」言説を問う>(2) 専修大文学部教授・山田健太さん(57) 2017/02/03 東京新聞

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<「沖縄ヘイト」言説を問う>(2) 専修大文学部教授・山田健太さん(57)



 言論の多様性という観点からは、いろいろな意見が番組内で紹介されるのはいいことだ。違う意見があるということを意識し、それをうまく乗り越えることで社会が強くなっていく。

 だが「言論の自由」と「自由な言論」は違う。表現の自由があるからといって、何でも言っていいわけではない。どこまで表現の自由が許されるかは、市民社会の中で合意ができてくる。例えば、川崎のヘイトスピーチのデモが止まったのは、まさに市民力だと考えている。


 沖縄の米軍基地反対運動を扱った東京MXテレビの番組「ニュース女子」は、ニュースバラエティーとはいえニュースという冠をつけており、基本は事実に基づいたものであるべきだ。事実と意見は峻別(しゅんべつ)するのがルールだが、番組ではどこまでが意見で何が事実か分からない。ジャーナリズムは真実を追求し、誠実に伝えるべきだが、今回はどちらも努力の跡が見られない。事実に基づくというジャーナリズムの原理原則に反しており、非常に問題がある。

 沖縄返還前はもちろん、その後も、本土の沖縄への無関心は続いた。二〇〇〇年代後半の集団自決を巡る教科書検定問題以降は、沖縄に関する報道量が増えた。だが、沖縄県民の思いに寄り添う視点というより、政治的な意味で大きく扱われることが多く、今度は沖縄への偏見が表面化するようになった。

 ここ数年は特に、本土と沖縄の分断だけではなく、沖縄県内の対立をあおるような報道が増えている。メディアが市民の間の分断を後押ししている感がぬぐえない。政府や政治家の言動を「そのまま」伝える報道が増えるほど、沖縄の新聞は偏向しているとか、市民運動は過激派が主導しているといった、沖縄に対する誤ったイメージが広がっていくように思う。これは結果として、沖縄の分断にメディアが消極的な加担をしていることにならないか。

 表現の自由のためには、公権力が自らが気に入らない報道内容に、偏向報道や誤報などと言い掛かりをつけるようなことを許してはならない。一方、いきすぎたメディアについては一刀両断に切るのではなく、市民社会の中で表現の自由の限界を議論し、メディア自身が気付いて直していくことが大切だ。

<やまだ・けんた> 1959年生まれ。専修大学文学部人文・ジャーナリズム学科教授。専門は言論法、ジャーナリズム論。『放送法と権力』『見張塔からずっと』など著書多数。

<「沖縄ヘイト」言説を問う>(2) 専修大文学部教授・山田健太さん(57)


2017年2月3日 朝刊東京新聞 より
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201702/CK2017020302000129.html