記事要約:
「無知の知」という方法論:
「無知の知」という原点に立ち返って「知」を検証しなおす、ということ
人はいろいろな知識や経験をすでに持っているから、ついつい自分の尺度で相手を測ってしまう。しかし、そうすると本当の意味で他人の考えていることをつかむことはできない。
ソクラテスは、自分の頭の中を真っ白にして(=無知の知)、自分は何も知らないということを前提にして、相手のことを理解しようと努めることをといた。
こうした「知を愛する」(=哲学)営みを「魂の世話」とも表現。
この「世話」というのは英語で言えば「ケア」のこと。
自分の「魂」を世話すること、
磨くこと、
これこそがもっとも大事であり、
そのためにいろいろな人と対話を試み、自分と相手の無知を明らかにしていくことが「哲学」である。
それは自分の魂のための営みであるが、同時に相手の「魂の世話(ケア)」にもかかわっている。
(「教養と看護」より 以下記事全文)
執筆:瀧本 往人
ソクラテスという人は、古代ギリシアのアテネの市民たちに対してあれこれと問答をしたことで危険視され、最後は死罪となった哲学者です。彼はいわゆる「無知の知」という方法論で、自分は何も知らないということを前提にして、相手の考えていることを吟味するのです。
人はいろいろな知識や経験をすでに持ってしまっていますから、他者とかかわるときも、ついつい自分の尺度で相手を測ってしまいます。しかし、そうすると本当の意味で他人の考えていることをつかむことはできません。そこでソクラテスは、自分の頭の中を真っ白にして(=無知の知)、相手のことを理解しようと努めるわけです。
ところが人間は大抵、少なからず「知ったかぶり」や「憶測」をもとに喋っているものですから、説明していても次第にあいまいさが露呈してしまうのです。本当ならそこで、ソクラテスといっしょに「ああ、そうだ、自分も無知だったんだ」と思ってくれるとよいのですが、プライドや世間体、先入見などが邪魔をして誰も己の無知を認めようとしません。
その結果、ソクラテスと議論した相手は皆、彼に恥をかかせられたと思い、気分を害してしまいます。ソクラテスは私のように相手を少し怒らせるくらいでは済まず、多くの市民に訴えられて、僅差ではありましたが裁判に負け死罪を宣告されます。
ソクラテスと同時代に活躍した賢人たちは「ソフィスト」と呼ばれました。彼らはソクラテスとは異なり、相手を説得させる方法としての「弁論術」を人々に伝授していました。それに対してソクラテスは、相手との対話を行い、新たな知恵を生み出す方法としての「対話術」を重んじました。
ソクラテス Socrates(Σωκράτης)
B.C.469 - B.C.399/古代ギリシア(アテネ)
死刑執行の前夜、プラトンをはじめとする弟子たちが、看守に賄賂を渡してソクラテスの牢獄にやって来ます。「さあ、ここを出て船で海外に逃げましょう。用意はすべて整っています」と、弟子の一人がそう言います。
ところがソクラテスは、刑から逃げることは正義に反するから、自分は逃げないと述べます。
弟子は「でも…あなたは死ぬのが怖くないのですか?」と恐るおそる師に尋ねます。
すると彼は、悲しそうな顔をして次のように答えました。
「いいかね、どうして死を恐れるのだろう。
私たちは誰も死後がどういうものなのか知らないはずだ。今まで誰も、死んだ人から死後の話を聞いたことがない。知りもしないのに恐れるのはいかがなものだろう。死後のほうが生前よりも素晴らしいことが起きるのかもしれないではないか」
このように、ソクラテスが特に大きく取り上げた「無知の知」の最たるものは、「死を恐れること」だったのです。しかも彼はそれを「考え方」として示しただけでなく、実際の行動として示し、毅然として毒杯を仰いだのでした。
さて、みなさんは看護の現場にかかわっていると、「死」はかなり身近なものとなっていることでしょう。でも同時に、漠然と自分の死はやはり怖いものだと思っていないでしょうか。
しかし自分自身は「死」を経験したことがないのですから、本当は何も知らないに等しいのです。それなのにどうして人は「怖い」と思うのでしょうか。不思議です。ソクラテスがこうして問いを投げかけてからもう二千年以上経っていますが、今なお私たちはそれを「わからない」まま生きています。
なお、ソクラテスのこうした考え方、生き方を「哲学」と呼ぶのですが、哲学(フィロソフィー)とはもともと「知を愛する」ことを意味しました。
それは言い換えれば「無知の知」という原点に立ち返って「知」を検証しなおす、ということです。
そしてソクラテスはもう一方で、こうした「知を愛する」(=哲学)営みを「魂の世話」とも表現していました。この「世話」というのは英語で言えば「ケア」です。
看護における「ケア」とは、助けを必要とする人への「世話」ですが、実はソクラテスの「魂の世話」は、自分に対してのものです。自分の「魂」を世話すること、磨くこと、これこそがもっとも大事であり、
そのためにいろいろな人と対話を試み、自分と相手の無知を明らかにしていくことが「哲学」なのです。
それは自分の魂のための営みですが、同時に相手の「魂の世話(ケア)」にもかかわっているのだと言えます。
みなさんは、看護とは他者の世話を目的とするものだ、と考えていると思いますが、実は本質としてそれは「自分自身の魂を磨くことである」ととらえることができるかもしれません。
このようなことを考えた人が、哲学の創始者だったわけです。つまり哲学は、一人ひとりの暮らしや考え方に疑問を投げかけることから始まっています。ソクラテスも、わざわざ人々を怒らせたかったわけではありません。
むしろそれは、相手の考えと自分の考えの「接点」や「共通点」を見つけ出し、自分とは異なる考えや立場にある人と「共にある」ことができるように、努力を傾けたことの結果だったのと思います。
こうしたソクラテスの「対話」のやり方は「助産術」と呼ばれ、彼の弟子であるプラトンは、さらに「イデア」という言葉でこの「接点」や「共通点」を説明しました。
哲学とは、世の中に初めから存在する「真理」を会得する技術のように思う人がいますが、そうではありません。
哲学の問いは、常に他者と自分とのやりとりから生み出されるもので、むしろ真理と言えるようなものはどこにもなく、自分たちがつくり出してゆくものだ、という気持ちで話し合うことを前提としているのです。
なお、ソクラテスの弟子であるプラトン、そして、プラトンの弟子であるアリストテレスは、その後のヨーロッパ文化に多大な影響を与えていきますが、その話はまた、別の機会に行いたいと思います。
(第2回へつづく)
約2,500年前、日本は縄文時代から弥生時代への転換期にあたる頃に活躍。
最大の関心事は、自分の魂を磨くことであり、「善く生きること」を追求。
「知を吟味する」という意味での「哲学」を生み出した。裁判で死刑になっても自説を曲げなかった。なおソクラテスは自分では文章を書かずに、ひたすら対話し、弟子プラトンが「対話編」として後世に残した。
〈ソクラテスをめぐる人物相関図〉
ソクラテスの妻クサンティッペは「悪妻」と言われますが、あくまでそれはソクラテスの言いまわしであり、二人の仲はよかったかもしれません。またもう一人、ミュルトーという女性もソクラテスの傍にいたようです。そのほか、彼の弟子たちの中にはアルキビアデスのような美青年もおり、ソクラテスを口説き落とそうとしたことがあります。なかなかの人気者です。同じく弟子のプラトンはイデア論を展開したこともあり、アトム論(原子論)を主張したデモクリトスらの考えを受け入れませんでした。さらにプラトンの弟子であるアリストテレスは師匠とは異なり、いわゆる自然科学的な方法論を生み出したことでも知られています。彼は大帝国を築いたアレキサンダー大王の少年期に家庭教師をしていたりと、話題は尽きません。